daddy_pipecut


695: 名無しさん@おーぷん 21/03/23(火) 16:31:33 ID:0X.jl.L1


平成中頃、本家伯母がなくなり、家督相続の話が出た。
父は生家に戻りたかったらしく、定年も間近だったので『(母)と一緒に田舎を継ぐ』と申し出たら、従兄(伯母息子)と叔父が生家の世話を嫌がってたので、正式に父が従兄(伯母息子)から本家と土地を不動産屋を介して正規に退職金で買い取った。
幾らかは親戚価格で安くなったが、それでも1,000万円以上。
勿論申告もきちんとした。




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そして定年を迎えた両親は田舎へ移住。
数年後、ある年の夏に子供を連れ帰省したら、父から
「ちょっと相談が」
と聞き、自宅裏の山に付いて行った(山林も一緒に買取った)。

そして山沿いの道を幾らか進むと道沿いに室(ムロ。横穴。昔、倉庫にしていた。)があり、その奥の建具をどけると大きな黒い金庫があった。



初めて見たもので、父が幼い頃に祖父が何処かで手に入れた記憶はあったが、
「何十年振りかで見た」
らしく
「全く忘れてた」
とかで、
「多分(亡伯母)も(従兄)も(叔父)も知らんだろう」
と言う。
そして
「鍵の開け方が分からないんだ」
と言うので、私から旦那に事情を話すと、旦那の友人が鍵開けとかの便利屋とかで、こっちまで遠路来てくれる事になった(勿論有料)。

次の日、旦那友人が来てくれ、両親と私が見守る中、旦那友人は専門工具等で数時間頑張ってくれた。
無事に金庫が開いたら、中から数本の日本刀と金の延べ棒(1KILO・FINEGOLDと某企業のマークが打ち込まれたもの)が12本出てきた。
旦那友人は用事があって開けてすぐに帰った後で、私と両親はとりあえず中身を乗ってきた軽自動車へ移して実家へ帰り、子供達が寝た夜中に荷物をそっと実家広間に移した。
確認すると昭和後期に発行された造幣局の金の証明書があり、金の延べ棒が本物と判った。
他にも出てきた日本刀にも全て登録証がついており、一番新しい日付も昭和後期だった。
母が父に金庫の入手先を聞くと、
「元々(祖父)が戦後の混乱期に知人から譲って貰ったもの」
で、
「(祖父)が骨とう品を集め入れていたのだろう。
中の金の延べ棒等は、昔、相場をしていた(祖父)が隠し持ってたのではないか?」
といった。

どちらにしても突然の出来事で両親とも混乱し、すぐに
「(叔父)と(従兄)を呼ぼう」
と言ったが、
私は反対した。

亡伯母は父と母を使用人の様に呼びつけては用事をさせていたし(勿論無料)、常に上から目線で私と妹を見下して性/的嫌がらせを何度もしてきた従兄を許せなかったし、叔父は長男夫婦をこき使って一族の王として振舞った伯母に媚びて分け前を得ていたし、何故彼らに分け与える必要があるのか。
「そもそも田舎の本家と土地・山林(一族の墓含む)を買い取ったのは父だし、付属する動産も両親の物の筈だ」
と説き伏せた。
母も、生前の伯母にされた様々な事を思い出したらしく、
「そうよ!」
と言い出し、父も納得した。

そして妹を呼び出して説明し、見つけた金の延べ棒と日本刀は両親が所有する事になり、日本刀はK察へ所在を報告し登録、金の延べ棒は取引銀行を通じ貸金庫へ預けた。

時は流れ・両親が入居していた老人ホームで倒れ、搬送先の病院で静かに旅立った。
最期まで夫婦仲良く、父のタヒ後5日で母も後を追うように逝去した。
そして貸金庫に預けていた金の延べ棒の半分は相続税で消え、妹と私は数千万円の遺産を手に入れた、が。
今・私の手元には小さい金の延べ棒が二つある。
金庫を開けた時、母が隠し持ち、その後、老いた両親を世話した私へ内緒でくれたものw
今は金の値段も高騰してるし、そろそろ売るべきか悩んでる。





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